Passing through~そらやのブログ

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理解がないのは私のほうでした。

以前から別の所で書いていたブログを見てジストニア治療に関する質問やメッセージ、コメント等を下さるようになった方々や"ジストニア"で検索をかけてこちらに来て下さるかもしれない方々の為に少しでもお役に立てればという思いで今日のこのブログを書かせていただきます。持病についての思いは未だに書き慣れない私ですので何かとご容赦下さいませ。

今から4年前の3月にジストニアだと診断され今に至るのですが
2017年3月現在、振り返っても暗い気持ち一色ではなくなっています。

医療関係者からの理解を得るのもなかなか難しかった難治病の治療を始めてからは治療自体も周囲の理解もなかなか進まない中、時間だけはどんどん先へと進んで行くので正直焦る事さえアホらしくて。
何が努力で何が無理なのか、自分にとってどうする事が正しいのか1ヶ所の病院または治療院への通院の見切りはどうやってつけたらよいのか、など難問ばかり。
言うまでもなく金銭的な打撃を受ける通院。
ジストニアの治療法は確立されていないので、いつまでこの病院でこの治療法を続けたらよいのか?
これだけの金額の治療費を支払うだけの治療の効果がいつか目に見えて表れる日は来るのだろうか?
そして終いには「自分にはこれほど高額な治療を受ける価値などあるのだろうか?」という自分の命そのものを責めるような最悪の考えから逃れられなくなり....
こうなると開き直るのも難しくなります。
ついでに厄介な喘息まで発症してしまうし何を希望に今日まで生きて来れたのか本当に謎でしかありません。

ただ言えるのは私にとって喘息はジストニア症状よりも辛く苦しいもので自ら患い初めて喘息がどれほど大変で日常生活に支障を来すものかと実感したものです。
言うまでもなく喘息はジストニアとは比較にならないほど患者数も多くある程度は病院も選り好み出来るし世間からの偏見の対象ではないと言えるかもしれません。
それでも当然身体的な苦痛は病気の知名度に拘わらず同じ。
ジストニアやその他の患者数の少ない病気の場合は身体的な苦痛の他に周囲からの無理解が更なる苦痛として心にのしかかって来るのでしょう。

しかし私自身も初めて病院でジストニアと診断された時は「はあ?」って言いましたから。
自分の身体が自分が一度も聞いたことのない病気にかかっていたのですから、突き詰めれば診断当初から暫くは私も私自身に無理解だったのです。
それに気づいたら周囲からの無理解など寧ろ普通ですよね?って。
自分のほうが周りの人達や世間に対して無理解だったと最近やっと気づくことが出来ました。
ひとたび気づいてしまうともっと早く気づけば気持ちだけでも楽になれたのに、などと思ってしまうのですが。
全部受け入れて少し離れた所から客観的に自分を眺める冷静さを身につけるには時間がかかったようです。
今は1~2ヶ月に1度理学療法を受けていますが、頚のジストニアによって負担がかかっていたかと思われる脚がかなり元気になってきました。
ジストニアという同じ病名でもこの病気は人によって症状は様々なようで例えば私は歩行には支障がないのに正座は出来ない。
包丁は使えるのに指が少ししか開かない日がある。
頚や肩の激痛がいつか自分の死因になるのでは?という程ツラいなど。
これらの症状は自分にはあまりないよ~という方もいらっしゃれば殆ど経験してる症状だよ!という方もいらっしゃるでしょう。
本当に痛みも苦しみも与えられている環境も千差万別。

ジストニアと共に生きる方々の心が少しでも生活しやすい方向に向いてくれる事を願ってまた持病について書かせていただく事があるかと思います。
その時は今日よりは成熟した文章を書けるといいのですが。
長文にお付き合い下さりありがとうございました。