Passing through~そらやのブログ

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2018.04.03

突然具合が悪くなり床でのたまわり机の脚を握りしめ苦しんだ翌朝固定電話が鳴りまだ体が回復していない私は電話に出ようとせず布団にくるまって二度寝することしか考えていませんでした。ナンバーディスプレイ機能がないので自治会の代議員や町内の組長を担当している時は必ず固定電話にも出るようにしているのですがその朝は本当に体がつらくて。
それでも鳴り続けて留守電に切り替わる度に切られる電話。
何度目かに切り替わった留守電にメッセージが吹き込まれるのが聞こえ、その一部を聞いた途端に飛び起きました。
不幸な報せが他人事ではないという恐怖。そして哀しむなら同情でもなんでもいいからとにかく人には生きているうちに気にかけてあげないと何の意味もないという事を強く思いました。
大人同志の遠慮もあるし社会生活を上手くやっていくには深く入り込まない、入り込ませない人間関係が理想的だと思いながら生きてきたけれど。このような考えが人間関係を希薄にして歩いて1分もかからない距離の不幸も止められなかった。
介護をしながら趣味を持って生きていた人が趣味で失敗をしてからそれを手放してしまい顔には少し笑みを浮かべながら「もうダメです」と。
好きでやっていたことを止めてしまわれた時点でのあの言葉は顔は笑っていても実は違う意味が含まれていたのかもしれません。
介護の経験があるし時には逃げ出したくなるほど大変で自分の好きな事が犠牲になることだって私は知っているのに
予兆に気づいてあげられませんでした。
きっとご近所の皆さんだって同じように後悔されているのでしょうが私も皆さんも結局身近な人の深刻な悲しみに気付きもせず何もしてあげなかったという事です。それを認めてただただごめんなさいと悔やむ事しか出来ません。
このような時には何を思って何を言えば本当の意味で礼儀にかなうのかも分かりません。


人との繋がり方を見直したいです。
これからは自分にとっては些細なことに感じるような内容でも思いを伝えようとしている人の話は真剣に聞きます。